最近は、山登りに嵌っています。と言ってもいつも同じ山を、ルートを変えながら運動がてらに登っているのですが、そろそろ次なるミッションへと考え本日は足半を履いて登ってきました。さすがに現代社会に育った人間として、ビーチは裸足で歩けるが、山の裸足はまだ恐れ多いものがありましたので、道具を使用した次第です。
この足半、家での普段ばきなので大したことはないだろうとタカをくくっていましたが、いやはや大変。普段一日中履いていても、家の中ではどうってことないのですが、たかだか1時間あまり山を登ると、とんでもなく痛い。昔の人たちはこんなのを当たり前に履いて普段の生活をしていたのかと思うと、いかに便利な世の中になったものだとしみじみ改めさせられました。
今日はまだ初日だったので、様子を見ながらてくてく歩いていましたが、痛みにとらわれぬように気をつけていると、どうやら身体の方が勝手に構造通りに動いているような気がしてきました。いわゆるオートマチック状態です。痛みから逃れようとする状態では、どうしても頭で身体を操作しているような状況でしょうが、身体に任せて全自動にしてみると、確かに足裏の痛みからは逃れられませんが、全身の動きが比較的楽になった気がしました。
確かに靴を履くことは今の時代に便利であり快適なのでしょうが、あまりにも快適さの追求のおかげで、忘却したものが大きいのではないかと思います。どれだけ足裏に痛みがあろうが、おそらくそれはやがて消えるものです、慣れ次第で。だって先人たちはそうして生きていたのだから。たかだかこの程度で、生死に関わることはないでしょう。
実際オセアニアの国々では、平気で裸足で歩く人々がいます。さすがに都会ではあまり見かけませんが、海沿いの街では大人も子供も裸足で普通に暮らしている人たくさんいます。まぁビーチカルチャーが発達しているのでその影響でしょうが、アフリカの黒人街でも同様普通に裸足で生活する人たくさんいます。金銭的なものもあるかもしれませんが、なくたって特に支障はないのでしょう。
だからと言って彼らの真似をしたり、昔の生活習慣に逆戻りしようなどとは訴えませんが、便利な暮らしの有り難みを思い出すために、人間的生き方を考え直すと「モノ」や「コト」にこだわらずに快適な生活が送れる気がします。そうした快適さこそが本来の健康状態なのではないかと思った次第です。
ロルファーとしてまたは自分の経験から足裏には、非常に重要な要素が詰まっていると考えています。たくさんの方々が、姿勢を重要視していますが、全てはここが機能的にちゃんと働いていれば、歩き方だの姿勢のバランスなどあまり考える必要はないと思っています。逆に頭を使い考えることで、オートマチックな状態から離れて行くだけです。あなたの身体は知っているのです。
この21世紀の現代社会でワイルドに戻るコトは、また乙なものですよ。