今回は田畑さんをお呼びした経緯とでもいいましょうか、この企画のきっかけは、フライヤーにも記載している、コロナ騒動が一つの大きな端緒です。ただし、それ以前から私自身が色々と想い巡らせてきた点と点が、一つの線として繋がったモノが根底に存在しています。普段から一般的な社会情勢に、ほとんど興味を示すことはないのですが、ロルフィングを生業としていくことにおいて、どうしても避けては通れぬものでした。
特にビッと引っ掛かってきたのは、欧州で爆発的広がりを見せはじめた頃の、この新聞記事です。ロルフィング同様とでも言いましょうか、全体性を見て現状の問題点をきちんと指摘しながら、この先起こるであろう社会秩序への警告でした。このユヴァル・ノア・ハラリ氏の新聞寄稿を見つけ、すぐさま著書を読ませてもらいました。まぁ取っ付きにくそうな感じでしたが、こんな私でもなんとなく理解可能で久々に「当り気分」でした。数ヶ月前に読んだのですが、言葉では上手くアウトプット出来ずにいたコトが、こうして出てきたのでしょう。ご興味ある方は、是非一読されたし。
彼の最新の著書「21 Lessons」にはまだ手をつけてないのですが、「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を読了しました。全世界で1200万部発行されたというこの方の著書。サピエンス全史においては「人類文明の壮大な歴史物語」として紹介され、ご存知の方も多いと思います。ホモ・デウスに関しては、少々難易度が高く感じられましたが、なんとなく理解ったつもりになってます。
それらをざっと私的に纏めているうちに、これまで蜃気楼の中でボヤッと霞んでいたものが、突如蕾として眼の前に現れてきた訳です。ホモ・サピエンスである私たち人類が、この先ホモ・デウスへと気がつかぬ間に進化させられて行くのか、どうか。自分で意思決定する機会さえ無しに、常識化された幸せを享受していくのか?はたまた、己の意思により自分の路を模索して生きるのか?全て自分自身の意識的な問題であり、選択は自由です。あなたはこの世界を、生きているのか?生かされているのか?それとも、流れるままに浮かんでいるだけなのか?何も時代錯誤的な、尊攘倒幕煽っている訳でもありません。
ちなみにこのホモ・サピエンスとは、一つの種に属する生物のコト。いわゆる現存する人類の生物学的な呼び名です。対してホモ・デウスとは彼の造語であり、デウスとはスペイン語で「神」の意を持ちます。これまで人間と神を隔てていた領域は、科学技術の発展により既に曖昧な状況です。遺伝子解析や人工臓器、AI技術を駆使し、不老不死を求め進められている進化。創造主が創り賜うた「人間」という創造性に満ち溢れていた生物は、いつの間にか人類至上主義のジレンマに陥り、ついに神の領域へと足を踏み入れたと。漸く謀反を起こす準備を、整えた訳です。
実際に彼の著書を読んで、常々人類の強欲さに辟易したいた私自身も、考え直すところ出てきました。以前まで偉そうに宣っていた自分自身すら、すでに刷り込まれた人類至上主義という無意識のエッジに、根強くしがみついていた。と「ガッツーン」きました。生物として謙虚に、本来の立ち位置に戻ることが、一番重要な課題ではないのかなぁと言う想いが、今回のパンデミックとリンクした感じですかね。
これまでの先人達による叡智の積み重ねが、現在のこの文明を築き上げている訳ですが、この先一体どこに進もうとしているのか、何を目指しているのか。それは私たち個人の思惑など一切関係無く、政府や企業など大組織がメディアを活用し、世論を導くかの如く誘導して、すでに道筋が作られている気がしないでもない。陰謀説やオカルトの類ではありませんが、事実現在の日本社会には既に「社畜」という言葉が定着しているように、一部のホモ・サピエンスはホモ・デウス又はそんな未来を夢見る一部の都合によって、ただの歯車として生かされている者が、大多数存在する気がします。まぁ、本人が望んでいるのならば、余計なお世話なんでしょう、失敬。
まぁすべて、それぞれ考え方の相違ありますので、これは一つの意見として、今回の企画においての趣旨的発端となったところだと解釈いただきたいです。俗世間より社会人不適合者の太鼓判をいただき、それを誇りとする私の想いが噴出した次第です。「個」としての自分自身に、しかと向き合うキッカケとなること願っています。テーマやキーワードから自分自身で想像し、新しいモノ・コトに向かって飛び込む勇気必要ですが、その勇気を奮い立たせるだけの準備は、整っているはずです。そうじゃなければ、今これをあなたが読んでいるはずありません。たとえどんな状況でも、自分自身で足を向けるという行為自体が既に、次へのステップへと導いてくれるのです。
私はホモ・サピエンスとしてこれまで生きてきました。これから先もこの誇りを持ち続け、やがて死んでいきます。将来今以上に文明が発展しハラリ氏の言うホモ・デウスの時代がやってくるのかもしれませんが、それはその時代に生きる者たちに託すのみです。そうやって時代に合わせながら、ここまで人類は進化を遂げてきたのですから。
今、在る、此処に。所詮人間なんて儚い生物です。「敦盛」ではないですが、まさに私を育んでくれた日本文化は、こうした意識を継承している気がします。こうした感覚が、カラダとココロに宿る。文武両道・心技体。これこそが、ホモ・サピエンスの証であり、民族の誇りとして忘れずに生きたいものです。まずは「個」の自律から、「和」を敬っていきましょ。
この田畑浩良氏九州WSにおいて、ご自分の意思によりあなたの足を踏み出してご参加いただきたいと考えております。個々の胸に想いを秘め、思う存分楽しんでください。想い出してください。そして敬ってください、あなた自身を。ホモ・サピエンスの証、自分自身の誇り「あなただけのモノサシ」憶い出すキッカケとして、舞台を設えお待ちしております。
時には、頭使って書いてみました。まぁ、肩凝ってしょうがないわ。