関東遠征の件、こちらで先にお伝えしようと考えていたのですが、更新するのを忘れていました。よって祝祭日の時間枠が埋まってきております。チョツト気になる方、お早めにどうぞ。
ムーブメント以外にも、もちろん単発セッションもやりますので、ご要望にお答えしながら、あなたのお身体に色々とご提案していきたいと思います。最近はまた身体に関しての考え方、捉え方に変化がありますので、HPのご紹介内容も新しく更新していきたいのですが、そのままにしてあります。ですから、こちらで拝読いただく事が、一番その時の状態が分かりやすいと思います。
きっちりと纏まってはいませんが、最近の考察ざっと書いていきましょうか。本来ムーブメント、動きというものは生命だと考える私にとって、その生命とは一体なんぞや?と深みに嵌った時に、これは表現以外の何物でもないのではないかと思い至りました。口頭で他者に思いを伝えるのも動きだし、理解不能なものでさえ身振り手振りで伝えようとしますよね。また他者に何かを伝える以外にも、心や状況の有り様によって勝手に動く時もありますよね。動いていないもの、動けないものは一旦置いときましょう。
そう考えると、私達の考える表現とは、思考や感情その他の社会的制約によって植えつけられた理性とやらを考慮した上での表現でしかないのではないか。それはすべて頭や身体で記憶したものから、その状況に合わせて選び出された、一つの手段でしかないわけですよね。本能からの表現とは違いますね。ここポイント。
その動き自体がヒトの行動へと繋がっていくわけです。あなたの頭でこう判断したからそう動いている。ご飯を食べる、仕事に行く、寝る、、、もっと細やかな視点で見るとご飯を食べる一つにしても椅子に座る、箸を握る、口へ運ぶなど様々な動作がそこには存在します。その動作を気をつけて細かく調整するのは、まだ不慣れな子供や、これまでにやったことない未知なるもの(動き)だからですよね。
普段の生活において動きとは、すでに出来上がったその人の持つ「形」であると考えるとそれはそれで結構なんですが、その動きに新たな可能性があるとしたらどうですか。もっと楽に座れる。立てる。動ける。そんなこと普段考える必要はなく、この先も気にせず生きていけるかと思います。ちなみに所作というのは、仏語においては、身・口・意の三業が現れることのようで、その動きである「形」が洗練され研ぎ澄まされることで無駄なく美しい「型」と呼ばれるようです。
具体的に説明するとこういったフィジカルな面からしかお伝えできないのが残念ですが、新しい動きの可能性なんて、素晴らしくないですか。その動きはあなたの行動に変化を与えるきっかけとなります。なぜなら心の変化さえ生み出すのだから。いつもと違うパターンでの動きは、日々の生活でこそ感じることが大切ですから。普段の生活の中で、そうした一瞬の余裕さえ持てると、後はあらゆる可能性を求める事できます。ご本人次第で、段階を踏む必要ありますが。
問題が起こってから動き出す方々の方が実際は多いし、私もその類の考え方しか持っていませんでした。この身体は俺もので俺が一番よく知っていると思い込んでいました。何も観ずに、感じても無視していました。この生活環境、社会で生きていくために。ただしその生きていく環境や社会では、あなたの動きが止まった時は死を意味します。まずは自分が動けてこその環境や社会、家族です。私たち人間は生きているのが当たり前ではなく、いつ死んでもおかしくないただの生命体でしょう。
いつからヒトは、自分の健康状態を気にしながらも他人任せにしていたのでしょうか。現状の動きの中でただ生きているだけに満足しているのでしょうか。私は私自身であるという幻想はどこから出てきたのでしょうか。人間も自然の一部だと感じる私としては、天気同様に刻々と変化する自身の中で、快適な様を探し求めております。何も他人と違って特別なことをやるわけでもなく、当たり前だと感じることを当り前にやっているだけです。そんな私がご提案できるのはまず、あなた自身があなたの身体を観ることです。
あなたを構成するすべての存在に生命があるか、もう一度ご自分を見直してみませんか。
動きを強調していますが、ムーブメント強化月間ではありませんので、お気になさらず。ご存知のように私の戯言ですが、こんな考え方を元にセッションやってますので、ご興味ある方私からのご提案、いかがですか。関東遠征セッションは2月12日までの予定です。