Savior

Rolfing

今回のモノサシWS in 福岡。告知文をきちんと読めば読むほど、ただのファンタジーみたいな状態になっていると最近気づきました。距離感をテーマにしたのはそれなりの意味があったからで問題ないと考えていますが、空間だの気配やら理想と現実、意識・無意識。挙げ句の果てには第六感?正直、怪しい宗教家のハシリだと思われる方もいらっしゃるでしょう。はい。いつかは教祖様になってハルマゲドンの到来を未然に防ぎ、ゾロアスターの生き写しと崇められた後、黄泉の国でイザナギと一献やろうと計画してます。

なんて訳ありません。あくまでロルフィングが根底にあるわけですが、知ってる方には説明するまでもなくボディーワークの一種ですと簡単なのですが、知らない方に説明するのはどうにも難しいというかめんどくさい。私の感覚では、端折った説明すると中途半端に終わってしまい、だからと言って大元から話し出すと、壮大すぎて収拾がつかなくなる感じです。

まぁこの田畑さんに限っては特に、出し物がその時の感覚でやってくるのでしょうか(憑依ではありません)詳細を書くことしません。私がお願いしたテーマを基に、ご自分の経験値に沿って、とっておきのコトを創作してくれます。だからこちらとしては安心できるのですが、告知がこんなに曖昧だと新手の洗脳詐欺だと感じられるみたいです。

第一これらの文章に平日開催となれば、女性をターゲットにしたものだと感じられますが、男性の方でも全然参加可能です。実際に先日お会いした男性の方は何気に興味を示しておられました。これらのテーマやキーワードをもとに、その方の意識の中で自分なりに何かを感じ取られたからではないかと思います。まさに私が求めていたものは、そこです。偉そうにカッコつけて、難しいこと言わせてもらうと、象徴的本質。

このテーマ・キーワードをミクロで観ていくこと大切ですが、全体的マクロな視点で捉えることが重要だと思っていますが、いかがなもんでしょう。こうした類のコトさりげなく書いてはいますが、どうもこの辺はっきりしといたほうが、集客への第一歩として役立ちそうだと感じた次第です。まぁココ開かなきゃ全く意味ないですが、ただの自己満足ですので、ご愛嬌を。

そこで一つのモデルケースとしてお伝え致しましょう。この最近の投稿を読んでいただくとわかりやすいでしょうが、最近私は「音」にハマっています。これはただの聴覚だけではなく、内耳や三半規管を含めた感覚器官としてのお話です。実際最近のセッションには、いわゆる「雑音」と呼ばれる振幅や周波数が不規則に変動する音を活用しています。まぁ簡単に言うと、普通の日常生活で聞こえてくる只の音で、人工的に生まれた騒音やら自然の音です。一般的に言われる音楽とは違いますが、やり方次第ではそれなりに効果があると感じています。

そもそも、自然の音を雑音と呼ぶのもどうかと思いますが、この世界で動きがあるものには、音も付随します。これは物理学的に解釈すると音波と呼ばれ、力学的エネルギーの変動として、動き(ムーブメント)には欠かせないものであるようです。実際ヒトの耳には聞こえてない音でも、振動として空間を伝達しています。動きとは生命そのものだと考える私ですが、その動きに関わってくる眼に見えない音、私達はどう活用しているのでしょう。

生物は、音をコミュニケーションなど、さまざまに用いている。また、他の動物の気配、物の動きなどの周囲の状況、空間構造などを把握するためにも用いられている。 例えば、人間は音の聞こえ方で空間の情報を得ており、コウモリは反響定位で物体の存在を感じている。(Wiki参照)

ということです。私はこれに加え、ある程度の「時」を計測することも可能ではないかと感じています。平静を保ち静寂の中で瞑想していると、たった5分が1時間ほどに感じることありませんか。ちょっと本筋からずれるので、この考察については割愛しますが、以前はただの音として認識していたものが、視点を変えてみると自分を取り巻く周囲の状況判断を示唆する要だったとは、中々気付きませんでした。まぁ21世紀の日本で、動物に襲われることなんて、街中ではあり得ないので気にしませんよね。

こうした聴覚としての感覚器官が受け取る「音」へと興味を持つことから、空間や気配へと意識が拡がるのもご本人の捉え方次第ではないでしょうか。こうした感覚があるということなんとなくご存知でも、実際に自分がそんな!と尻込みされる方も多いので、はっきり言っておきましょう。これ、ぜっんぜん特別なことではないと思います。逆に、現代社会に慣れきった私たちには、新鮮だと思いますよ。確かに個人なりの能力的な違いもあるでしょうが、こうした感覚を耳からだけではなく、皮膚で感じる方もいらっしゃるようですし、あくまで一つのモデルケースとして私の考えでした。

自分なりに意識を向け興味を持たれると、いろんな解釈で楽しめると思います。すでにロルフィングや田畑さんのコトご存知であれば、こうした宣伝もあまり必要なく希望者集まりそうですが、関東と違いここ修羅の国・九州では、どうやらそう簡単にはいかない上、楽な方に逃げると後で泣きみますから、こうして手を替え品を替え、先ずは教祖様と呼ばれる日を窺っています。

ちなみに先日お会いした方は、音楽を生業とするアーティストの方でした。何やら閃いたものがあったのでしょうか。