Australia

Surf

私のホームブレイクといっても過言ではない国、オーストラリア、サーフィン大国です。ここで波乗りを始め、いつの間にやら中途半端な英語を覚え、日本の非常識とも言える海外ならではの常識を培いました。生まれて初めて、島国日本から世界へ出て、同じ島国でも全てがデカいOZ文化に憧れを抱いて現地の生活に飛び込み、人生の転換期になった所でもあると感じています。まさに Lucky Country & Go Surfin U Fat Prick!

いまだにどこ行っても「オーストラリアから来たのか?」とよく言われます。どうやら私の話す英語擬きには、凄まじいオーストラリア訛りがあるようです。以前は全く意味がわかりませんでした。英語に訛りなんかあるとは知ったこっちゃない状態なので、ただ必死に理解しよう、伝えようとやっていただけです。はっきりいって勉強して覚えたわけではなく、向こうでただただ身についただけなので、しょうがありません。まぁ私は生粋のジャポネーゼなので今更しょうもないコトですが、スラングと日常言葉と混同しているようなので、その辺だけは気をつけるようにしています。

NSWからQLD、WAにVictoriaと様々な所行きました。お気に入りはやはり一番長かったVicです。先日ちょっと書いた昔の洋画、Point breakの最後に出てくるBell’s beach(映像では違いますが)に興味が出て、2度目の渡豪で行っちまい、結局そこで2年程暮らしてました。まぁ、あまりここでは書けないことばかりしていましたが、素晴らしい経験だったと自負しています。

ここVicで出会った人々の考え方やライフスタイルは、その後の私の人生においても大きく役立っています。その当時は「ここに全てがある」と感じ信じていた若造でしたが、こうして現在の時間軸から振り返ると、あの時あそこで経験したことが核としてありながら、今やりたいコトへと繋がってきていると感じます。あの頃はどうにかして暮らしたいと考えていましたが、その気持ちは今尚ありますね。

波のコトなんてお伝えしなくても、波乗りされる方お分かりでしょう。すげえいい波です。あの南極から届くうねりは、自然の理に則り人間如きを屁ともせず、一旦牙を向くと、大自然の洗濯機へと変貌します。しかし時には穏やかな水鏡となり、朝日を照らす水平線に一筋のうねりがラインナップされると、朝日に続く階段へと変容を遂げる。あの南極の風で凝縮され張り詰まったうねりは、この蒼い惑星の一部として主張し、硬く冷たい海水が幻想的な波を創り出す。それを大自然のキャンパスとして、自分だけのラインを画く。今在る自然との刹那を求め、波乗り師たちは海に戻って行くのでしょう。

地域によって様々な波を持つオーストラリア。まさに波乗り大国です。もうここ10年程行っていませんが、あの時間の流れはまだ変化ないこと願っております。だいたい行った時は友人宅の倉庫で寝泊まりしていましたが、常に冬場に行くのでいつも木こりをして暖を取ったり、ガーデニングや皿洗い、ペンキ塗りから穴掘りまでなんでもやってましたね。便利屋・よろず屋稼業もこのオーストラリアから始まったようなモノです。自称Handy Man、実はOZ発祥です。

足を怪我して自分で縫ったり、病院行かずにほっといてしまいには、緊急外来で形成外科手術受けたりと馬鹿なことばかりやっていたのが祟った挙句、こうして身体に意識を向けた生業のきっかけとなったのかもしれません。人生でこれまでに何度か死んでる場面ありましたが、やはりオーストラリアが一番確率高かった気がします。よくぞ生き得たからには、それなりにやり残したコトがあるのでしょう。

あの頃に戻れることはないですし、感慨深く嘆くのもナンセンス。打ちのめされた波に自分だけのSilent Space、流れていた曲、血を流した傷、みんなで飲んだビールの味、すべて私の身体が憶えています。それがどんなに苦いモノであっても、そこを通り過ぎたから今が在る。振り返ってみると自分の足跡を刻んでいた。決して消すことのできない路として。

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