気配を感じたことある方、いらっしゃいませんか。時代物の小説なんか読んでいると、よく見聞きする言葉ですが、実際にはどうなのって思うところありますよね。殺気を消してみたり、背後に立たせなかったり、いつの間にやら懐に入り込まれたりと、気づかないにしても、なんとなく分かるような気もします。でもこれ、よく言われるエーテル体だとか「氣」オーラ的なスピリチュアルなものではありませんので、最後までお付き合いください。
この気配とやら、どうやら最近の科学によると「電気」なんじゃない。というロマンある考察です。生物の周りには「準静電界」と呼ばれる膜が存在するらしく、どうやらそいつが正体。とはまだはっきりとは言えないものの、大きく関わっているようです。この凖静電界とやら、解析対象の大きさが波長に比べてとても小さい領域にあるその名の通り静電気みたいなやつなんでしょう。
本来人体には、常に微弱な電気が生じており、それらが身体内の情報伝達として電気的信号を送り、生命が維持されています。例えば、病院なんかで脳波を取ったり心電図や筋電図、皮膚電位を計測することができるのも、この電気的信号を可視化して数値化することで可能になっています。
そうした身体内の電気信号が、体内より滲み出たものを準静電界の膜だと言うわけです。これはもちろん人間以外、生物に等しく存在しており、動植物すべてにある生物学で言うところの「生体電位」と呼ばれるモノらしいです。こうした微弱な準静電界は電波のように空気中を伝わることはできず、人体の周囲にとどまりそこで変化を繰り返しているのです。まさしく「氣」ですね。
この微弱な電気信号の膜の正体が「氣」やエーテル体、オーラと呼ばれる怪しげな気配のとっかかりだとしたら面白い話じゃありませんか。実際にサメやエイ・ナマズなどの魚類の数種やカモノハシ(オーストラリア種)は、これらの電位を感知し捕食活動を行なっているようです。上記の生物の体内には、準静電界を感知する「電界検出センサー」が備わっており、このセンサーを使ってエサを捕まえています。それ故視界や嗅覚が利かないような環境下でも、高精度にエサを認識し、捕まえることができるんです。このセンサーは、視覚や聴覚などよりも古い、非常に原始的な感覚器だと考えられているようです。
例えばサメの場合だと、頭部に電界を感知する感覚器として、小さな穴がいくつも空いているようです。この穴が「ロレンチニ瓶」と呼ばれる電気受容器だということです。このロレンチニという意味のわからない言葉は、これを発見したイタリアの学者の名前で、瓶とはこの穴がフラスコのような形をしていることに由来するようです。このロレンチニ瓶の奥には、複数の有毛細胞が存在し、それらが超高感度で感知したものをさらに高電圧で増幅させ、認識してエサを探し出すのでしょう。
そしてこのロレンチニ瓶に似た器官は、我々人間にも存在します。それが耳の奥、内耳にある蝸牛と呼ばれるものです。話は面白くなってきました。本来この内耳、聴覚を司る感覚器官として機能しています。ここに納まっている蝸牛管はリンパ液に満たされており、サメ同様に有毛細胞が存在します。それらが音を振動として捉え、電気信号に変換し神経として伝えることで、私たちは音を認識しているのです。電気活動がここでも活発に行われており、人体内で一番電圧が高い組織はこの内耳だそうで、研究者の間ではこの内耳こそが、ロレンチニ瓶の名残ではないかと考えているみたいです。
この内耳以外にも体毛、特に産毛は準静電界を感じやすい特徴を持っているようで、まだまだ研究の余地はあるようです。有毛細胞つながりで「毛」なんですかね。でも、何かが起こった時に、総毛立ったり鳥肌が立つ本能的な反応を考慮すると、皮膚感覚に近いところもあるという説もあるようですが、やはり「毛」が大いに関係しているのかもしれませんね。昔のお侍さんが月代を剃っていたのも、何やら関係あるのでしょうか。
人間の歩行時には、体にまとっている準静電界も勿論一緒に動きます。その際片足を上げるたびに、地面との距離が離れることで、人の電位が増幅されるらしいです。つまり、じっとしているときよりも動いているときの方が、準静電界の変化が大きいのです。研究者による実験では、アスファルトの路面を歩いているときには、20~30メートル先にまで、その電位の変化が伝わることが確かめられていて、それらが気配の正体ではないかという事です。
まぁ実際に、空間や気配を感じ取りながらアプローチするイールドワークでは、それなりの効果を見ていますので、かなり興味のあるトピックです。この感覚は、本人も気づかないうちに感じているみたいで、こうした人たちが内耳で電界の変化を検知しているとしたら、音を聴くことと電界の変化を検知して気配を感じられることは、本人にとって同様の現象なのでしょうか。
私的には、この内耳自体が平衡感覚を司る三半規管の一つだということに、非常に興味深いです。重力の向きや回転加速度を受容する器官がこの奥にあるということは、それなりに意味がありそうな気がするのは気のせいでしょうか。音ってものは、時間や空間認識に影響や関連性が大いにあるのではと最近考えていた最中だったので、なんとも面妖な巡り合わせだと感じ取っている次第です。まぁ、音を認識後に電気信号に変換して脳へと送る最中に、その三半規管を通っていくわけですから。ただの素通りじゃない気がします。人体は非常に効率よく設計されていますので、多いな関連性ありそうな気がしています。研究者さん、その辺よろしく。
ただ、この時代では野生動物に捕食される心配もありませんし、こうした能力はあまり必要なさそうなので、文明開化の過程で置いてきたものでしょうが、こうした感覚が理解できるようになると、楽しそうじゃないですか。でも現代社会では、それなりにきつい部分も出てくるのでしょう。