Nicola 祭

私の軽率な行動により、ニコラさんを招聘するに至って、皆様に大変ご足労をおかけしております。私より迷惑メールもどき告知拡散メール、突然のお電話などお受けになられた方々、もうしばらく辛抱くださいませ。私の頭に中は、ニコラ祭で大変なことになっております。

ただただ、ニコラさんと田畑さんが一緒に行うワークショップに参加したい!と個人的願望により始まったこの企画。正直なところ、誰のためでもなく自分自身のためであります。すみません。両者を知る方、知らぬ方、全くもって興味を持たぬ方など世間とは、私の考えるほど狭くはないようです。ただしこの狭い日本列島、先陣切って錦旗を掲げさえすれば、微々たるものの我こそはと、喜び勇んで徒党を組みつつ参上する同志が存在するであろうと確信していたのですが、そう簡単に事は運ばぬようです。全ては無知なる無謀さゆえに走り出したこの企画。ただし時には無茶をする事で、開く扉もあると考えております。

こんな私のわがままに付き合ってくれている皆様方の存在が、今の私を後押ししてくれています。発起人として立ち上げた割には、肚を切る気も全く持たずにやっておりますが、打ち首獄門だけは避けて通りたい所存で臨んでおりますので、引き続き温かいご支援・ご参加いただけると幸いです。

そんな中何も言わず自ら率先して、このような心和むフライヤーを作っていただいた先達には、大変恐縮するとともに、まだまだ自分自身の視点の切り替えなるもの、又は客観的に全体の概要を見通すことが未熟であったと反省の念を抱きながら、昨晩は床に入った次第です。よって本日は、中4日ののローテーションを袖にして、連投で臨んでみました。

そんな折、昨日の記載で教えることが上手な方は教わるも上手、との見解でしたが、もう一点。そのような方々といると、逆に問うてみようという気になるのは馬鹿と煙はなんとやら、の策にはめられているのでしょうか。もちろん、私ごときの付け焼き刃では、ねずみ返しの如くいとも簡単に跳ね返されるのが落ちですが。やんちゃな子供が世間を覚えていくように、軽くあしらいつつも真摯に向き合ってくれる方々は素敵ですが、まだまだ私もガキだということでしょう。

本題のニコラさんについてですが、これまでのトレーニングでは「身体の使い方」を、しかと強調して伝えられていた気がします。足のスタンスから膝、肘の使い方など多岐にわたって、、、。普段私はトレーニング、セッション時にノートを持っていくのですが、ほとんど書きません。というか書く暇がないのです。ここは、という点のみを後で記述しますが、昨年末のスーパービジョン七日間の中で私が記述したのはニコラのこの一言だけでした。「身体使うな重力使え」本当にこれだけしか書いてありませんでした。

私にこの一言は、眼から鱗の思いでした。散々身体の使い方を意識しており、日々の調子によるばらつきを、自身の主題としていたところに飛び込んできた一筋の光。これは七日間での集大成として、座右の銘へと変貌し額に飾って床の間に飾ってあります。嘘です。なんともったいない七日間だと感じられる方もいるでしょうが、なんと贅沢な時間だったと私は感じています。この一言のために私はあの場に居た。そしていかにして重力を使うのか、私の拙い理論モドキをぶつけるために彼を呼んだ。ただそれだけです。

まだ枠は空いています。何やら感じられた方、是非ともご参加お待ちしております。