Panama

Surf

いよいよコロンビアからパナマへと移動。これはただの国境越えではなく、南米から中米へと入る一大イベント。どこをどうググっても、パシフィックサイドをボートで渡れるなんて情報は出て来ないのですが、ここは地元民を信じてアドベンチャー。おそらく想像できないようなことも起こりそうですが、そんなこと考えるだけ時間の無駄。とりあえずやってみること重要です。どうせいつかは死ぬのなら、やってみようやとりあえず。なんて浪花節じゃありませんが、昔から「やるな」と言われること、やる子供でした。

まずは滞在していたEl Valleから隣の町Bahia Solanoまでバス移動。そこで数泊し国境近くの村Juladoへと向かうボートを待機。ここまでは割と順調でした。その後、コロンビア最後の村Juladoへと移動しましたが、ボートを降りたらそのまま警察官が待機しており、そのまま警察署へと連行されちゃいました。どこから来て、どこに行くのか執拗に聞かれ、念入りに全ての荷物をチェックされた挙句、無事釈放。どうもトラフィッカー(麻薬の運び屋)と疑われたらしいのですが、そりゃそうでしょう。

パナマサイドの国境村Jaquéへと向かう次のボートに乗るまで数日を費やし、無事国境越えしてパナマの村Jaquéで次なる物資船が来るのをひたすら待つ身。ここにあるパスポートコントロールは、イレギュラーな入国のせいか現金$500 USを係官に見せることが必要だとのこと。そんな現金なんぞ持ち歩くわけなく、ATMを探すも皆無。クレジットカードなんぞ偽造品が多いせいか信用に乏しい様でまったくもって相手にされず、とにかく現金を見せろの一点張り。結局2週間程度の滞在ビザしかもらえず、先を急ぐ旅になりました。

こちとら早いとこ目的地に行きたい一心で、他の脱出方法を探し出し、飛行場があることを発見。毎日、いつ飛んでくるのかわからない飛行機を心待ちにしていましたが、やってきたのは本当に小さなプロペラ機。コロンビアで乗ったやつと大して変わりなく、ボードケースが乗らずに断念。ここでさっぱりと諦め、腰据えて物資船が来るのを待ちました。

結局物資船に揺られ、La palmaで一泊。翌日は朝の4時ごろから対岸までまた船で渡り、バスを捕まえMetetiまで行ってからまたバスに乗り換えパナマシティーへ。も一発バスをのりかえてSantiagoを経由してからSonaでもう一泊。その翌日の朝一で無事パナマの目的地サンタ・カタリーナへと到着できたのでした。長い道のりでしたが、悪くはなかった気がします。

当時の日記を読み返すと、1月18日にコロンビアをでて、パナマの目的地サンタカタリーナ到着が24日。んでそのままコスタリカへと2月には入っているようです。移動に約1週間を費やし、実際に波乗りで滞在したのも1週間という寂しいパナマ生活でしたが、波はとんでもなく良かった。ただ南米から入ってすぐの中米は、人が多く感じたのは確かで、中米を楽に往来できる❖グリンゴが面倒だと感じたものでした。

❖グリンゴ:中南米における欧米人に対しての蔑んだ呼び名・俗語。Green go out(迷彩服を着た兵隊は帰れ!)に由来するとも言われている

結局目的地サンタ・カタリーナの滞在は約一週間程度と短い日数でしたが、波は最高です。波乗り好きなレギュラーフッターは是非、行ったほうがいいですよ。うねりさえ入れば、絶対いい感じでした。シーズンオフだったので大した波はありませんでしたが、それでもあの長〜いブレイクは一度いいうねり入れば、最高でしょう。潮が引いてるときはテイクオフしてすぐに、ドライロックが「こんにちは〜」と出現しますが、うまくかわせば延々と乗れるいい波です。コツ掴めば楽勝ですが、ビビリが入ると直撃しそうで、これまたアドベンチャー。

メインブレイク以外にもたくさん周りに乗れるとこあるし、まだまだ村人はフレンドリーで楽しめました。アメリカンのブライアンと一緒に海で、魚突いてウニとって喰ってみたり、近所の村のお祭り情報を仕入れ、オージー軍団と一緒に船に乗って行き、ベロベロになって帰りの心配してみたりといい加減なことばかりして短い滞在を満喫しておりました。

結局、わざわざパナマ・シティーまで戻ってビザを延長するのも面倒との判断で、早々と見切りをつけたパナマ滞在。勿体無い気もしましたが、この先にも必ずいい波どっかにあるはずだと信じて、次の目的地コスタ・リカへと向かっちゃいました。中南米のパシフィックサイド縦断を成し遂げた余裕か、この先もトコトン観光客とは一線を引き、チキンバスやらローカルバスにて中米を北上していくアドベンチャー。なんでこんなの書き始めたのかわかりませんが、気が向いたらまた。

今回分は長い旅路に短い滞在。残念ながらいい写真はありませんが、全ては私の内に残っています。ここでは全然書けていませんが、途中で出会ったヒトたちの親切、言葉の壁やらカモとして狙ってきた偽りの情報、いろんなコトありましたが、まだまだ物足りない気分ですね。