秋の予告編

Notice

さてさて、何度目かわからない意味不明の宣言がまたまた出されました。中途半端なセーフの宣言もここまでくると、聞く耳持たずの状態になるのではないでしょうか。皆様、ご自身の判断で今後も行動されること願っております。

私としては、今秋開催予定のWSに向けてパオラを日本へ招聘できれば一切問題ありません。現状の社会状況が、想定内ではあるものの、雲行きは怪しい感じが”正直”言うと漂ってきております。もう少し、日本セーフの選良民は国民のことを考えているかと信じておりましたが、どうやら眼先のコトさえ見えていない感じですね。まぁ、まだまだ開催決定期限まで1ヶ月以上あるので、準備だけは怠り無く進めております。

そんな状況だからなのかわかりませんが、参加者の食いつきもいまいちなのが現状で、寂しい限りです。開催は無理だと考えているのか、ただ単に興味がないのかわかりませんが、なんとなくシラけた感じが漂っているのは、奮闘させようとする人々との温度差の問題なのかな。クールに決めるのもよろしいですが、それすらAIみたいに感じるのは、時代遅れの象徴なのでしょうか。こちらを覗く方は少ないと思いますが、パオラWS。フツーに募集していますので、遠慮なくお問い合わせ、また告知の拡散にご協力ください。

パオラ・プロジェクトはこんな感じで、告知後もまだまだ水面下で動いている感じなんですが、もう一方のプロジェクトは確実です。楠見ナオさんのムーブメント・ワークショップ「カラダとうごきのOno Ma to ¡Pe! 第2章」九州博多。開催日は10月9日(土)に決定しました。序章の前回、ベーシック10のセッション・テーマに合わせ「呼吸」についてやりましたので、第2回目はもちろん「あし」をテーマにやっていきます。これは、ロルフィングのベーシック・10に因んで、各セッションのテーマ通りに進めていく予定です。というわけで、今後もまだまだ継続予定です。

これはロルフィングの普及も兼ねながら、もっと皆さんにボディワークがなんたるか、を説明するより体感してもらおうと考えついた”奇策”と言っても過言ではない手法かな。対面でのフツーのセッションだとそれなりの金額になる上、よくわからないものに手を出すのは億劫だと感じる方に向け、グループワーク的ではありますが、各々が主体性を持ち心と体の「ボディマインド・コネクション」を再認識していただける取っ掛かりとしては、悪くないと考えております。

これまで主に田畑さんにお願いして、博多でのWSを開催していました。田畑さんにはもちろん田畑さんの手法 (Yielding embodiment®)を軸に、空間身体学という中々一般的理論、いわゆる理屈では理解りにくい領域を、惜しげも無く披露して頂いております。ただし何事にも順序があると感じている私としては、もう少し誰にでもわかりやすいように、能動的に身体を使いながらジワーッとやって行くのも悪くないと考えている次第です。あらゆる手法を混ぜ合わせることで、これまでややこしいと感じていた領域への扉が開くこと、体験済みなんです。(個人的経験ですがね)これ即ち、統合と言ってよろしいのではないでしょうか。

また、能楽師である安田登氏曰く、脳の学習には運動性と感覚性の2つの種類があり、身体的学習が希薄な現在では、後者の感覚性に偏りがちだと感じているようです。その感覚性だけに偏る学習ばかりだと、まず肚で感じることができなくなり、物事をごっそりと身体全体で受け止めることができずらく、口先だけの皮肉屋になると著書にありました。その感覚ですら疎遠になっていくと、一体どういうことになるのでしょうか。ここはまず身体的な運動性をガイドに委ねて、感覚性をさりげな〜く探ってみませんか。

どちらにしても、田畑さんの手法Yielding embodiment®を共に学んだナオさん。もちろん彼女もYieldersの一員として承認されている上、その他にも継続して探求しているバイオ・ダイナミクスや❖コンティニュアム(下記説明文参照)など彼女自身のバック・グラウンドであるコンテンポラリー・ダンスや、演劇学科の講師としての経験から紡ぎ出された糸を手繰って、独自のカラーを醸し出してくれています。そうやって他の手法を織り交ぜ磨き上げるコトで、個々の色がまた鮮やかに浮き出て来ます。そんな彼女のコメントがこちら。

バイオとロルフィング、コンティニュアムとロルフィング。

きちんと言葉にすると、どちらも相容れない違いがあるんだけど、

その違いは置いておいて、

いろんな登山道から頂上に登ってて、それぞれ見えてくる景色が面白くてねぇぇ

という感じで学んでます。

というか合気道みたいに、その道を進むことをやりたいんだろうなぁ。

バイオを学び始めたことで、体の中や外にある静けさに耳を澄ますこととか

身体の持っている叡智を心底信じる力が増えた気がしてます。

このコメントから個人的に感じるところとして「理屈ではなく道理としての探求者なのかなぁ」なんて感じます。道理または筋道・順序とも捉えられますが、合理的な社会として成熟するために根底に存在するべきものだと私は感じているものです。こうしたものを排除した方がより合理的になるようで、なんとなくおかしな世の中になってきていると感じるのは私だけでしょうか。そうした肉眼では認識できない大切なコト、もう一度一緒に探っていくとボディワークの主眼が何なのかが、もう少し理解しやすくなると思います。

私たち人類以外だけでなく、この世の中の生命と呼ばれる全てのモノに、本能的に備わっている知覚・感覚の認識を促進していくのがボディワークの趣旨であると考えているのですが、個々の発達段階と同様、それなりにステップを踏んで進めていけば、間違いなく誰もが道理を憶い出すはずです。それは理屈や理論とはまた違う、身体の知性だったり叡智だったり、、、。

ただ、現代社会において、一般的常識だと決めつけられたルールや社会生活の制限の中で、閉じてしまっている、もしくは自分で閉じた事すら忘れてしまったカラダからのサイン。ロルフィングに限らずボディワークを活用して憶い出すキッカケを呼び覚ますコトは、このよくわからないコロナ騒動後の社会において、大変有益になるのではないでしょうか。

世界を見渡すと、Covid-19がパンデミックだと認識され始めた当時(昨年2〜3月頃)ユヴァル・ノア・ハラリ氏が警鐘したように、ワクチンありき又は分断の世界へと向かっている気がします。政治的なことはよくわかりませんが、こうした不測の時代だからこそ、ますますカオスな状態を作り出そうとする輩に、それを煽って世論を統制するメディアたち。何が正しくて間違っているのかを探すのではなく、何を信じて生きていくのか。自分自身の本能、身体の持つ知性や叡智以外にあり得るでしょうか。

全体を俯瞰的に眺めながら、こうなる事態を予測していた彼の先見性には、歴史学者のみならず世界史やマクロ・ヒストリーなど多岐にわたる分野で、専門的かつ総合的な視座から想像されたものでしょうが、世界が全体的に無秩序な状態へと進んでも、自分の核となる軸だけでもしっかりとしていれば、対応できると考えます。情報過多の時代、その多々ある情報から選択し決定するのは誰なのか、または誰のためなのかをもう一度考え直すキッカケに、ナオさんのオノマトペ(第2章)どうぞよろしくお願いします。

たま〜にノッてきたら、ちょっと偉そうなこと書いちゃいますが、要はナオさんのオノマトペ、前回以上に参加者来てくれないと、セッション途中で終わっちゃう可能性大なので、集客の一環です。基本、ノーテンキなおっさんなので、気難しく考えず遠慮なくご参加ください。もちろん初回を逃したなんて方も全然問題ありません。本格的に告知始めるのはもう少し後ですが、こちらの戯言ではお得感を醸し出すため、大体少し早めに開始してます。参加希望者・お問い合わせはこちらの備考欄に「オノマトペ2参加希望」と明記の上お申し込みください。

少々長文になりましたが、こんな時代だからこそもっと自分の内側を観つめ直してみると、外の環境も違った景色に見えるのではないでしょうか。身体の健康は心から、心の健康は意識から、意識の創造は感覚から、、、。

❖コンティニュアムとは

コンティニュアムは生きている、と言うことが意味するものの豊かさへの目覚めです。コンティニュアムは最初の単一の細胞が分割し、層状に積み重なり、形が変化して行って、遂には人間という込み入った形態になっていくという、生命全体の潮流の中に自己が繋がって行くのを体験できるプロセスです。           

               抜粋:Chronic studentsさん

これ読むと、コンティニュアムって”創発”みたいなもんかと、独り勝手に納得したつもりの傳さんでした。