カッコつけて英語で書いてみました。ボディーイメージとボディスキーマとはなんぞや?「身体イメージと身体図式」と日本語で聞くと似たようなもんじゃないかと思いますよね。はい、似たようなものです。でも何が違うか?
難しい説明は苦手ですので、省略します。意識的に持つ身体のイメージ、と無意識的に出来上がっているイメージ。みたいなもんです。意識的か無意識的かの違いなんですが、これがまた深い。私のような無学の人間にとって、この辺の領域に侵入すると、混乱して暴走して爆発します。ある意味芸術です。だって自分で考えたもの、感じたもの、所有してるものは全て自分自身で、イメージもスキーマもどっちでもいいけど、所詮は自分の身体でしょ。意識、無意識なんじゃそら、なんですよね。
おっしゃる通り、私に立ちはだかる壁は、意識的と無意識的の差異です。考えたもの・事、に関しては、なんとなく理解できる気がしますが、身体で感じた・もしくは生まれた時から付いてるなんて奴らは、ほぼ無意識じゃないの?てな感じです。しかし無意識にできたものでも、意識下の土俵で考察すると余計なイメージやら思考が入るので、一概には何とも言えないようです。
その辺りを明確にしたい方は、ブルースリーの名言、Don’t think. Feel. It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.をググってみましょう。そこには何らかの、ヒントがありそうです。
ここからはオフィシャルではありません。あくまで私の個人的意見としてですが、意識的に作られるボディーイメージに関しては、個人の経験をもとに心理的・視覚的な情報により主観的要素を含め、主に左側頭葉に記憶されるらしいです。という事は、見た目や気持ち次第で書き換え可能。意識下においてですが。ただしこのイメージは、思い込みやその時々の状況の主観的要素を含む事により、現実(感覚)を歪めて解釈することが起こるのです。だって記憶なんだもん。
一方、無意識下であるボディースキーマでは、体のあらゆる感覚情報(視覚、触覚、固有感覚、平衡感覚など)をもとに、中枢神経系によって統合され、頭頂葉に記憶ではなく、創り出され生成されるとのことです。そして私たちの姿勢や運動(動作)は、これをもとにプログラミングされ、普段の生活を行っているのです。よって、記憶と生成の違いは、両者の違いを紐解くポイントの一つっぽいです。
少しずつ複雑になってきましたが、要するに意識した状態で記憶されている自分像と、無意識下の中で、自動的に生成された自分がいる。と私は解釈しています。こうなってくると、今までの自分って一体何者なんだと思うのですが、その辺は置いときましょう。まっすぐ立っているつもりでも、思いっきり明後日の方を向いていたり、傳さんってワイルドで逞しいわね。と飲み屋のネーちゃんに言われたばかりに、自分はオリオンの生まれ変わりなんだと思い込んでいたり。様々な自分像を皆さんお持ちでしょうが、それらはすべて、偶像だと解釈してよろしいのではないでしょうか。
話が逸れましたが、要するにボディースキーマはより正確であるほど、身体の有効活用ができるが、思考を凝らしても生成はできない。記憶によるボディーイメージでは、意識の中でどうとでも作り上げることが可能であるが、そのイメージは主観的であり現実との隔たりが有る。んな感じですか。ってことは、イメージはそこまで気にする必要性があまりなく、スキーマ自体の正確度をあげて、プログラミングの多様性を目指した方がいいんじゃないでしょうか。
と、なんとなく理解できた人は、それじゃあどうやってボディースキーマの生成ができるの。もう出来てるものでしょ、書き換え可能なの?どうやって?それが Re-Mappingです。またまたカッコつけて横文字にしてみました。リマッピングとは、昨年解散したアイドルグループの親戚ではありません。今回のワークショップを行うニコラ氏が、かなり押してる言葉です。もちろん彼の恩師でもあるフランスの巨匠、Hubert Godard氏もまずはここから始めようと、セッションにおいての真髄的要素の第一歩だと私は感じております。
次回は、このリマッピングについての考察を、だらだら書かせていただきます。今回の説明で分かりにくかった方、申し訳ありません。が後日続きをお楽しみに。