守破離傳

この度私、新団体を発足いたしました。すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、改めてオフィシャルにて公言しようと思います。

団体名を「守破離傳」とし、今後こそっと活動していこうと考えています。何もそんなに大げさな団体ではないのですが、団体登録のため敬称が必要だったので、いつもながら咄嗟の思いつきです。あまり大きな声では言えませんが、この四文字熟語、発案者は田畑さんなので、実はパクリです。スミマセン。

本来は’守破離’とは、千利休の訓から引用したもので、「日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つであり、それらの修行における過程を示したもの。日本において芸事の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想で、そのプロスを「守」「破」「離」の3段階で表している。(wiki参照)らしいです。

これに私の屋号’傳’を加え「守破離傳」とまとめたのは、先述した田畑さんのアイデアですが、先に言ったもん、使ったもん勝ちです。これ、なんといっても語呂が悪くない。田畑さんのアイデアに至った経緯は、田畑さんと私のインタビューで述べていますので割愛しますが、この団体ではそれらを踏まえた活動していこうと考えています。そのインタビュー動画も近日中に公開予定なので、楽しみにお待ち下さい。

珍しく、真面目な話になりますが本来私は、人間なんて生きているのが不思議な生き物だと思っています。この惑星が何かの因果によって、こうした生態系を持っているのではなく保てているのは、全てのものである森羅万象が、今のところうまい具合に嵌っているからであって、いつどうなってもおかしくはないんじゃないかと感じています。

地球温暖化や地震、活火山の活性化など世界の異常気象とも呼ばれている、たった数百年ほどしか計測していない意味のない常識に成り立っていますが、実際にこの惑星はどんどんとヒトが住むには適合しない状態へと近づいている気もしませんか?おそらく私たち人間の行いにより、時期が早まるなどの要因もあるでしょうが、そもそもが宿命だと考えています。こうしたサイクルの中で私たちは、今という時代に存在しているものと考えます。

そうした私個人的な人間への思いから「守破離」をヒトの人生に当てはめてみることもできると思った次第です。極めるという意味では、人間の道も同じ事ではないでしょうか。私たちは各家庭という小さなコミュニティーで生まれ、地域の学校へと行き「守」であるルールや規則を学んできました。その後社会へと出て、本音と建前や世間の作り上げた常識を知り「破」という自分なりの生き方、考え方を模索し、「離」の段階として自分なりの個性やキャラクターを育み、個の確立を図っているのではないでしょうか。

そこに「傳」の一文字を加えることで全てを循環させ、また新しい守の段階へと戻ることができるのではないでしょうか。芸術は「創造と破壊」とよく聞きますが、何も破壊する必要などなく、新しいモノ・コトを取り入れヒトに伝える。それは自分の声を自分の中だけではなく、己の耳を通し身体で聴く事にもなるでしょう。

そうするうちに、やがて他人の声だけではなく、この現実のあらゆる声も聞こえてくるような気がします。忙しい雑踏の中で、本質的な全ての声を聴いてみませんか。そこには重力という静寂の音もあるのですから。そして、そこで聴いたものを自分で受け入れ、新たに確立させていくか、今の現状に満足し頑固一徹で貫いていくかはご本人次第ですが、私は前者でありたい。

何の因果かこの世に生まれ、今という時代を生きているのならば、常に型破りを目指すと楽しそうじゃないですか。中途半端だと形として終わるようですが、その形をいくつも持つと、それもまた一つの型として残るのではないかと勝手に私自身の型を創り上げ、一生を終えたいものだと望みます。じゃないと、退屈でしょ。

そういう思いで、今後この「守破離傳」という名を用い、これからもいろいろと仕掛けていこうと考えていますので、皆様ご贔屓にどうぞ。

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