やることは何気に色々とあるのですが、順序を違えると面倒なコトになりますので、ここは落ち着いて、一つづつ終わらせていきます。まずは先日の足半製造体験講座「礎」江戸版フィードバックで、大変嬉しいコメントをいただきました。ちょっと嬉しかったので、思わず本人さんの承諾を得てご紹介します。全文行くと少々長いですが、私への賞賛もありますので、もちろん端折らずにコピペします。
足半(あしなか)製造体験講座「礎」に参加しました。編み始める前に傳さん作成の資料で簡単な解剖学 「なぜ足半なのか」「足根骨」 「二段階構造」「足底の3つのアーチ」「メカノレセプター(足裏の感覚器官)」について学びながら、 実際に足部の骨模型に触れて動かしてみると、足の立体的なイメージが広がります。 ええっ、ここでショパール関節?リスフラン関節?トラス機構?運動学の講義で初めて聞いたとき覚えられず、実習で大混乱したやつじゃーん!と内心焦るも、傳さんがさりげなく配慮しつつ話して下さるおかげで、足根骨への理解が深まります。材料の麻縄を切り分けてもらい、作成開始。
モノサシは足半を履く自分自身のリーチか、その倍、それだけです。床に座って、両足の親指に縦糸をかけて左手で編み始めの結び目を強く押さえ、右手で横糸を編み始めますが、全然うまくできない
夢中になって編み込んでいると、縦糸横糸が短くなっても姿勢を変えることなく、足の方へ上半身が倒れて行き、いつの間にか猫背に(足を引き寄せれば済む話)。現代の生活様式の中で身体の感覚が鈍くなり、自然に全身を使うことの難しさを改めて感じます。足半を履いて、一休み。
編む間麻縄を強く引いていたので、両手指は少しヒリヒリします。回を重ねれば慣れていくことでしょう。 美味しい和菓子とお茶をいただきながら、立ったり座ったり、会場のセッションルームの中を歩いて往復したり。立つと足半の厚さで若干背屈状態 (爪先上がり) になり、足指は曲がって足半の周縁をしっかり捉え、踵は負荷がかかることもなく床と付かず離れずの状態になります。長時間履いていると痛くなるらしいのですが、今のところ私にはやや強めの心地よい刺激に感じられます。いずれ慣れたら外で歩いてみようと思います(街中では無理なので、土や芝生のあるところで)。
しばらく履いたあと、脱いで素足で床に立ったときの感覚を、ご一緒した方は「センセーション」と表現されていましたが、まさにその通り。アーチ構造や足指の下で床からわずかに浮き上がった小さな空間を非常に鮮明に感じ取ることも、今までとは比較にならない位足指を自在に動かせることも、あらゆる意味でSensation(感覚、感動、興奮)でした
- 1日目 出勤して社内履きのローヒールサンダルに履き替えると、足底とソールの間の隙間が大きく感じられ、今までより違和感があります。
- 2日目 退勤時に歩いていると、傳さんが話していたように「股関節が開く」感覚が現れます。これをなんと表現すれば良いのでしょうか、非常に薄い、ほんの僅かな感覚で、意識していなければ気付かない位です。しかしその感覚は確実に足底から伝わってきています。何かに強制されていると感じさせない、非常に緩やかで穏やかな変化が足裏から起きているのです。
- 3日目 勤務中椅子に座っていても、糸のような細い感覚が何度も足底から股関節辺りまでへ伝わってくるようになりました。通退勤時に歩きながら、この感覚は何だろう?と ずっと不思議でした。細い繊維がぎっしりと束になっていて、しかも感覚はその1本1本を伝わってくるようです。足指は靴の中でも以前より自由に動き、地面をとらえています。
- 4日目 日が経つにつれ、繊維の束の感覚は股関節を超え上半身に伝わり始めます。この日は歩きながら、はたと「そうか、脚は筋線維の束だ!」と勝手に一人で納得(実際には他の器官と関係があるのかもしれないが、まだ勉強中)。もう、細胞レベル?のような小さな感覚が目覚めたようです。
- 5日目 勤務中座っているとき尾骨周辺が緊張していましたが何かのバランスが変わる過程のように感じました。退勤時歩いているとき、繊維の感覚が横隔膜まで伝わってきて、横隔膜の天井ドームを感じながら歩いていました。身体の左右の2軸がはっきりして、臍の両脇辺りで体内が動いているのは大腰筋でしょうか。足裏は力強く働き、上り坂を歩くときも踵から踏み込めば膝を曲げて登る必要がありません。一歩進むときの体重移動もスムーズです。帰宅後履いていると、両脚の内側がより働いているのを感じます。
- 6日目の今日も自宅で履いて過ごしています。この1週間で、体感もさることながら頭の中で足の存在感が大きくなりました。歩いていると、両手のように近い位置に両足があるように思えます。体内に生まれた感覚は、以前受けたロルフィング® 10シリーズ セッションで足の支えが再構築される過程を追体験しているようでもあり、さらに繊維の束のような今までとは違う感覚を得たようでした。
休憩中の雑談で、傳さんとの正確な会話は忘れてしまいましたが、ロルフィン®セッションの意義について「ああ私は勘違いをしていたな」と気づく場面があり、身体の全体性、一つのユニットとして機能する形へ「統合」する意味を考え直すきっかけになりました。私は右足関節の受傷前の状態には決して戻れないから、残された機能を最大限活用できるようにうまく統合されているんだなと。
そして嬉しかったのは、このご時世に「手仕事」を教わる講座を「対面」で開催していただけたことです。指導者の作品に触れ、自分の作品に触れてその差をフィードバックできたり、観察していると指導者がどれくらい力を込めて作業しているのか、そのときどんな呼吸をしているのか、作成方法だけでなくたくさんの情報を受け取ることができるからです。
私は人から人へ何かを伝える時に同じ場を共有することは非常に重要だと考えています。余った横糸の長さが私のリーチには少し足りなかったので、次回から横糸を「リーチの倍+足のサイズ」位にしておけば余りが丁度リーチの長さになり、次の縦糸に使える、これは永遠に無駄なく編み続けられる
以上、素晴らしいフィードバック頂いて大変感激しております。FBにて投稿いただいたのですが、どうしても個人的気になる処ございましたので、匿名を申し出でこちらへと掲載させていただきました。あまり読者もいませんが、どうしても一言物申したいコト御座いまして、、。
手仕事における身体の使い方の考察、その場の雰囲気及び出来上がった作品から受け取る独自の感覚など、私自身考えもしなかった「場」の雰囲気や熱量・周辺視野からの捉え方、非常に勉強になりました。そして一番気になった5日目の告白。「尾骨周辺が緊張していましたが、何かのバランスが変わる過程のように感じました。」とありますが、これは非常に重要なコトじゃなかろうかと考えております。
こうした状況時の違和感もしくは痛み等、いわゆる感覚。とにかくこれまでと違った感覚は、セッション中やそれ以外でも時として起こることです。ここで「何かが変容を遂げるために必要な過程」と捉えるか「ただの痛みや違和感」として拒絶するか。どちらにしても本人さんの問題なのでどうしようもないですが、この過程こそが”在り方”として非常に重要なポイントだと考えております。
この”在り方”とやらを、本質的な理解、肚を据える(また居直った)決意として重要視する私としては、これまで出会った数々の方々を観て、経過中の違和感(痛みなど)に囚われ、その先に進むことを潜在的に拒否している方が結構居るなぁと、勝手に感じております。理由として理解らないコトもないのですが、私の考えるロルフィングとして「構造の統合」の本質とは、この”在り方”を思考だけではなく、身体の感覚としても理解できないことには、絶対に成し得ないコトじゃないかと考えているからです。
もちろん、ヒトによって順序やら気持ちとやらの問題あるでしょう。でも、いつかは通らなきゃいけないところではないでしょうか。今やらなくていつやるのって話すると、少々乱暴だと思われるでしょうが、結局のところ先送りしても、いつかは手をつけなきゃ意味ない気がするんです。今も後もそう違いはないと思いますが、その辺はやはり本人さん自身の問題でしょうね。気持ちの問題?居直っちゃいましょう。
新しい未知なる自分へ向かうと決意し、心身共に理解する如く両輪のバランスを整え、最後までブレずに続ける覚悟こそが大切だと考えています。常に流動的な世界に存在する私たちは、二度とあの時の状態へと戻ることはできないのです。そうした準備・決意が潜在的に湧き上がったときに、あなたの自尊心は次の構造段階へと立ち向かっていくはずです。
私が作成した資料なんぞ、その辺で拾ってきたものばかり。誰でも簡単に収集できる代物です。少々解剖学なんかかじった輩であれば、初歩的な触り程度の内容で、一切目新しいモノなんかない。重要なコトとは、ちょっとした知識と継続的な実践以外にありえません。その実践において、本人の感覚を素直に受け入れ認めること。それ即ち、軸の在り方だと考える次第です。
何を信じるかはあなた次第ですが、最も基となる自分自身を信用できず、何を頼りに人生を送るのでしょうか。自分にできることは、誰だって出来る。自分に言い訳するのも、誰だって出来る。あまり難しく考えずに、足元注意して自分の目標へと向かい、ただ足を踏み出してはどうでしょうか。
体験講座より一週間、自分の感覚で観てきたモノ・感じたコトを継続して言語化いただき、本当にありがとうございました。足半の威力を、すでに感じ取られている様ですが、まだまだそんなもんじゃ終わりません。なんてったって古より伝わる民具です。今後の身体の変化、お楽しみ下さい。
ちなみにこのフィードバックをくれた方、ロルファー・身体療法従事者とは一切関係ない一般事務職として勤める女性の方です。自分自身と真摯に向き合って生きてる人は、素晴らしいですね。