Colombia

Surf

エクアドルのモンピチェ(mompiche)滞在から全然話が進んでいません。少々忙しくなってきていることとに加え、ここから先パナマまでの移動が自分的に非常に濃い内容になっているので、どうにも書き出すのが億劫になっています。傳の波乗り放浪記、題して「波ある暮らし」サーフィンするだけの為にバガボンドとして旅していた過去のことなんか元々書くつもりなどなかったのですが、一旦書き始めたからには中途半端で終わらせるのも、みっともないのでぼちぼち書き綴っていきましょう。

本来エクアドルからコロンビアすっ飛ばして、パナマに飛ぶ予定を変更しての滞在でしたが、ここモンピチェはほんの小さな漁村。数週間ほどですっかり飽きてしまい、次なる目的地を探しておりました。ここは予定通りパナマに飛ぼうかと考えていたところ、ローカルからとっておきの情報を仕入れました。なんとコロンビアいい波立つようです。その当時(2010)すでにインターネットで、世界中のポイントは網羅されていましたが、コロンビアで波が立つとは予想外でした。コカインやらゲリラの国としか認識していませんでしたが、ちょっとした遊び心が湧いてきました。

ここは一旦街に出て、ちょっと危険な香りのするコロンビア目指すかと思案していたところ、これまた素晴らしい情報。わざわざ街まで出張ることなく、ボート乗りつないで行けるよと目指すポイントまでの道のりをメモ紙(地図?)に書いていただきました。そのメモ見つけましたので貼っときます。一緒に呪文のメモも見つけましたが、読めません。おそらく筋斗雲を呼ぶ時に唱える呪文だったと思います。

このメモと呪文だけで未開の地コロンビアへと旅立ちましたが、貰ったメモも全く役に立たず。いくら呪文を唱えても筋斗雲なぞ飛んでくるわけなく、逆にラテン気質の陽気で五月蠅い余所者専門ボッタクリがやってくるばかりで、目的地に着くまで相当な時間を要しました。イミグレーションが見つからず、スタンプ探してあっち行きこっち行きとたらい回しにされるは、警官に職質喰らいそうな危機を感じ、こちらから片言のスペイン語で質問責めの先制攻撃。如才なき満点の笑顔でエストイ ハポネ!を連呼し難を逃れた記憶もあります。港で数日待たされた挙句、結局目的地へのボートは乗れずじまい。正月を目的地で迎えたいがためにとんでもないローカルバスに乗り、悪路のアマゾンを夜中の移動は、ケツが痛くて眠るどころじゃありませんでした。

まともに書いていくと結構な物語になるので、ざっくりとはしょらせてもらいましたが、日記を読み返すと、エクアドルのモンピチェを出発したのが12月21日、コロンビアの最終目的地 El Valleに到着したのが、年の瀬迫った28日。そういえばイミグレのハンコ貰うために行った Cali はクリスマスだった記憶が。街のイルミネーションが、恨めしく感じたものです。Cali の駅でおまわりさんジョルシュに宿を探してると尋ねたら、一緒になって探してくれましたのはいい思い出です。スペイン語の全くダメな私と身振り手振りで、日本のコトやら話していた記憶あります。生涯で一度は行ってみたい国、ハポンからのお客さんだと歓迎し、とても親切にしてくれたと勝手に解釈していました。

今考えると、もう少しトラブルを楽しんでそこで遊んでいれば、又違った展開起きたのでしょうが、どうしても波が最優先だったその頃は、少しでも早く波があるところに向かっていたのであります。この時エクアドルを出てから目的地 El Valle に到着するまで、様々なコト起こりました。今思い出すと、大変だったんだけど最高に面白かったです。実際は大変だとも感じていなかった気もします。ただ波乗りしたくて、必死でした。

国境を越えるのに、とんでもない道歩かされた先にジープが待っていたのは、まるで脱獄気分。入国のスタンプもらうため、必死こいてありとあらゆる所行きました。途中で泊まった宿でアムウェイに勧誘されたり、とんでもないバスに乗って、預けていたボードケースが魚臭くなってイジケてみたり。結局ボートを諦め、怪しいコロンビアンのおじさんに賭けて小型のチャーター機を利用するも、板が大きすぎて乗らず次に便で送ると言われ、めっちゃクチャ心配だった空港の到着ロビー。小型機の運転席から見たEl Valle の空港は、これまでの道のりを一気に吹っ飛ばし、私を優しく迎え入れてくれました。そこはまさに、探し求めた楽園への入り口でした。

まぁこんな感じでアドベンチャー、ようやく正月前にたどり着いた目的地El Valle については、次へと引っ張りましょう。では、次回を乞うご期待。