偽善者

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人の為に善いコトを。いい言葉なんでしょうか?子供の頃、学校でそのように教わった記憶が、あるような、ないような。正直、私は大嫌いです。こんなことを言う輩は、まず信用しません。だって「ヒトのタメ」って漢字で書くと【偽】となり「イツワリ」の善。偽善という言葉の出来上がりです。

世の中における善行を考え実行するのは、悪いことではないのでしょうが、その起点が人の為となると、おかしくなるんじゃないかなぁ。例え他人のために良かれと思っていても、とっかかりに自分自身の軸なり信念が存在していない限り、善行だとは思いません。だって善行なんてのも多種多様じゃない?

しかもこうした輩は確信犯として、綺麗事を建前に、クッソみたいな本人の望む一般的常識を持ち出してくるので堪りません。自然を愛する輩だとか、世界平和を望む団体、はたまた私は全てをわかってます的な、エラソーな輩。その人なりの考え方などあればこちらも話できますが、そうした奴らに限って屁理屈だの何だのと言い出し議論にもなりゃしない。ただ単に本人が、周囲の人間に感化されただけなんじゃないの?

俺の力作に、落書きするお前も非常識じゃ!

話がちょいと逸れましたが、自らの軸が存在するからこそ「自発的」に動き出せるのであって、そこが起点として無いと、どうしても見栄や虚栄に感じる表面だけの薄っぺらいモノに感じるのは、私だけなんでしょうか。たとえ世間で善行だと認められているコトであっても、発する起点がちょいと違うだけでズレてくるんじゃないでしょーか。だって、自分自身を偽っているとも捉えられるしね。

元はどっかのパソコン屋で、実業家や慈善活動家、ハタマタ名誉騎士称号なんかの肩書き持った輩。慈善財団持って、なにやらきな臭い噂ばかりのオッさんです。不可思議なのは、なんでこんなオッさんがコロナの流行・終息を予想したり、後発開発途上国におけるワクチン接種率の低さを、インフラ整備不足だの物流の問題だのと口を出せるのでしょうか。私は正直、陰謀論なんぞ全く興味がないのですが、キナ臭いもんはキナ臭いと感じるたちでして、そうした感覚的なモノでこれまで世の中を凌いで生きてきたわけです。

こいつはキナ臭いと、なんとなく感じるわけですが、逆にここまで堂々と偉そうに言える輩には、賞賛すら感じます。まぁ、わたしのような凡人にはわからぬ、コイツなりの考えが元にあってやっているのか、偶像として踊らされているだけか。黒幕は、いつも舞台の袖から眺めているのでしょう。パンデミック騒動も、映画ハンガーゲームにおけるキャピトル住人の如く、選ばれた人々の暇潰し的娯楽の一種なんかな。でも確かに私の感じる偽善的な輩って、ちょいとした裕福な人ばかりのような気がします。

他人を思いやる心、皆と調和し協調するコトは、素晴らしい文化的背景の一つだと感じています。ただし、自分の内から発していない限り、いくら他人を思いやったところで、軸となる自分自身の素直な心、また在り方を偽っている気がします。そうした個々の素直な総和こそが、今の時代には必要だと感じます。

まぁ、癖あるひねくれモンの考え方だと一笑されるのがオチでしょうが、やっぱり人生、自分のために生きてなんぼだと考える私は、常に自分を起点に行動します。こんな世の中、信じられるのは自分の眼で観たモノのみです。どちらにしても、綺麗事ばかり言う輩は信用しない、ちょっとした人生観です。