この最近、カテゴリー欄に Travel を追加しました。ただ私の場合、これらはほぼ surf と同義語になります。波乗りのために旅行に行く。というか旅行という懸念すらなく、それこそがライフスタイルとして確立していました。最近はちょっと離れていますが、いつもこんな感じです。んで、途中30代前半ぐらいでしょうか、海外に行った際は記録として残すもの有りかと、ちょくちょく日記をつけはじめました。そいつに、ちょいと小洒落て題名をつけ「Life with wave」邦題は「波ある暮らし」なんでも形から入る性格です。
20代の頃書いた奴は、とてもじゃないですが読み返せません。紙媒体であるノートに記録してありますが、小学生以下の落書きですね。まともに読み返すことできるのは、南米から中米・西アフリカにヨーロッパの島々を放浪した辺りから、きちんと記録した媒体として残っています。日記といっても毎日丁重につけていたわけでもなく、風の吹くまま気の向くままに、思ったことやら感じたことをつらつらと書き殴っているだけです。
当時の予定では、ブラジルとヨーロッパで波乗りしてみたくて日本を出発。まずはブラジル入りしたのですが、帰りのチケットをキャンセルしてそのままペルーに飛び、その後はバス・ボート・歩きで幾多の国境を超え、メキシコまで北上した訳です。いつでも予定は未定であり、その時々でフレキシブルに変化できる能力は、昔からの得意技です。南米ペルーは、今でも日本から遠いだけでなく、それなりの魅力を持つ国でした。
確かその当時「世界一長い波」と言われていたサーフスポット・チカマの存在は、波乗り師には魅力溢れる、一生で一度は行ってみたいと思えるポイントでした。周りで行ったことのある人間など出会ったことも無かったですね。まぁそんな感じで、放浪のサーフバム中南米編を始めたのがもう10年以上前だとは、いやはや時間が過ぎるのは早いです。ぼさっとしてたら、棺桶に入っているんでしょう。
まぁ端緒は、いつものごとく軽いノリですが、そのきっかけとなったブラジル・サンタカタリーナに、約3カ月ほど滞在していました。肝心の波はそこそこでしたが、何と言ってもブラジルは懐が深い。差別もなければ、ボッタクリもやったもん勝ち、やられた方も、自分の情報力の未熟さを痛感し次回に備える、とでもいいましょうか。言いたいことはズケズケ言うし、町からちょっと離れたファベーラなんか行くととんでもない目にあうでしょうが、行ったお前が悪いと言われる始末、要するになんでもありです。
そんな貧困層のカオスもあれば、とんでもない富裕層もいて、ほぼ役に立たない腐敗の蔓まくった役人。もはやとんでもないところのように聞こえるでしょうが、人各々がもっと自由に自分の裁量で生きている感じですかね。他者のせいにするわけでもなく、されたとしても、そんなもんシラネと意思表示をはっきりとする。自由ってもんは、こういうことなのかと、考えさせられたものでした。皆本当に人がよくて、暖かいけど、ほっておくみたいな、適度な距離感を醸し出す、そんなお国柄だと感じています。
サンタカタリナ・フロリアノポリスでの生活では、地元の奴らとつるんで夜の街に繰り出したり、一緒に波乗り行ってみたり、街まで自転車を買いに行き、帰りはとんでもない峠越えして帰ってきた記憶があります。地元のサーフショップで板を買ったのがきっかけでその店の奴らと仲良くなり、そのお店に毎日の如く入り浸っていました。
波乗り以外には、あまりここで書けるようなことはしていません。でも、あのラテン気質の洗礼を受けた一発目の国として強烈でしたが、この経験から得た教訓は現在の私の中に、どっぷりと染み込んでいる事でしょう。全くポルトガル語が出来なくても、突然飛び込んで行ったジャポネーゼを一切気にする事なく、一人の人間として対等に扱ってくれた事、感謝しています。「ポルトガル語、難しいんじゃないよ、ちょっと違うだけよ」と言ってくれた売店のおばちゃんの一言は、一生忘れられないでしょう。
南米は、アルゼンチンやらチリ・パタゴニアを見逃しているので、そのうちまた訪れたいですね。次回は是非、ヨットで。まぁこんな感じに時折、昔話でもやってみましょうか。歳食った証拠ですね。